うちには17歳の頃からずっと飼っているゴールデンレトリバーがいました。
名前はグリスといいます。体重が50㎏もあるような大きな大きな男の子です。
体重がどんどん増えて50㎏になったときは心配になり病院に行きましたが獣医師さんからは「骨格が大きいのでこれが普通です」と言われました。
ゴールデンレトリバーのグリスとの出会い
母がある日突然貰ってきた子で、近所のおばあちゃんが飼えなくなってしまったのを譲り受けてきたのです。グリスはうちに来たとき生後8か月。その日から毎日朝と夜40分ずつ犬の散歩を僕がすることになりました。雨の日も風の日も雪の日も毎日です。
友達と遊びにいくときは必ず一度帰って犬の散歩をしてから出かけるのが半ば義務でした。
バイトや部活などで帰りが遅くなるときは「グリスごめん」と心の中で何度もつぶやきました。正直に言えば若かった僕にとっては煩わしくも思えたこともあります。
いなければ自由なのになぁ…。好きなときに好きなことができるのになぁ…。
家にずっといるグリスの方が寂しくて不自由なのに身勝手ですね。
東日本大震災後の生活
3月11日からはじまる東日本大震災からの日々。僕はグリスから数えきれないほどの恩を貰いました。
その恩はグリスがうちにやってきた日からもらい続けているものですが、一番大きかったのはやはり震災の時かなと感じます。きっとグリスはそうは思っていないでしょう。でも、僕としたら大きなことです。
震災の日、僕の帰りを夜中まで待っていてくれたこと。
職場のスタッフを社用車で送り届けてクタクタでした。停電している地域もあり、震災のニュースは絶え間なく流れていて世界が終わるように思えました。
家につき、無事を喜ぶグリスの顔を見て玄関先で座り尻尾を振るその身体に抱きつくと重いものがすっと消えていきました。
震災後の日々は被災地からほど遠い東京にいても
交通の麻痺、経済活動の停滞、原発事故の不安、計画停電、続く余震…。
被災地の人から比べる余地もありませんが、不安の種はいくらでもありました。
みんながみんなストレスを溜め込んでいて、家族や同僚にぶつける人、社会にぶつける人と何も言わずに俯く人様々でした。
辛くても、もっと辛い人がいて。
悲しくても、もっと悲しい人がいて。
愚痴も弱音も吐けなかった。大丈夫なふりをして生活をするしかなかった。
そんな日々にグリスがずっと変わらずに傍にいてくれることが本当に心を楽にしてくれました。夜中2人だけ(1人と1頭?)でいるときに話す愚痴や弱音も黙って聞いてくれます。
暖かい毛むくじゃらの身体をぴとーっと寄せて、時には顔をこちらに向けてくぅーんと鼻を鳴らします。「ほんとにちゃんと聞いてる?」そんなことを言いながら同じベッドの上で寄り添って寝ます。
ちょっとスヌーピーっぽい顔立ちでした。
みんなグリスに会いに来る
誰しも癒しを求めていたのだと思います。昼間は母の友達が、夜は僕の友達がグリスに会いにくるようになりました。
人が大好きなグリスはそのたびに大喜びして尻尾を振って大歓迎します。分け隔てなく愛想を振りまいて、誰にどこを触られても怒ることなくいつもニコニコしてます。
しばらくグリスを撫でて抱き着いて語りかけ、時には黙って傍にいて寄り添って、気が済むとみんな帰っていきます。「またくるね、ありがとね」そんな言葉を残して。
「お前すげーな」静かになったリビングでグリスに話しかけます。
お世辞にも運動神経がいいとは言えないし、顔は大きくて全然シュッとしてなくてハンサムとは言えないし(愛嬌は有り余るぐらい持っている)、おっとりのんびりしていて、年中寝てばかりいるのにさ。
人の不安、悲しみ、苛立ち、もどかしさ、大きな身体にすっぽり入れて中和してしまう。
「お前はすげーよ」
気疲れして横になっているグリスのお腹を撫でていると「何が」という顔をして上目遣いに僕を見ます。
「いやいや、なんでもないよ。寝てていいよ」と言い撫で続けているとやがて寝息が聞こえます。寝息はやがてイビキと寝言になったりしますがそんなことは関係なく彼は偉大なのです。
僕がその時に付き合っていた彼女の実家にいる母と兄が被災し、安否不明な期間が2週間ほど続きました。昼夜問わずテレビの前にいて安否確認のニュースを膝を抱えて見続ける日々。
このままだとこの子は壊れてしまうな、と思い。震災の翌週には半ば強引にうちに泊まらせることにしました。彼女はとても犬が好きで、特にグリスのことが大好きだったからです。
きっと、僕にそうしてくれたようにグリスはずっと彼女の傍にいてくれるだろうと思ったからです。そして、その望み通りグリスは朝も夜も彼女の傍に居続けました。ベッドから起きだしてきてまたベッドで寝るまでずっとです。
家族の安否確認ができて家に戻る日、彼女は何度もグリスとうちの母にお礼を言いました。そして、ちょくちょくうちの家に遊びにくるようになりました。
僕と別れてからもその習慣は続きました。僕よりもグリスのことが好きだったのでしょう。
グリスとの別れ
元気だったグリスですが、震災の時で11歳。もう老犬です。
震災の一年後には金色に美しかった毛が少しずつ白くなり、筋肉が痩せてきて、散歩で走ることもなくなりました。
それでも、人に気を遣うところは変わらず。母と僕が喧嘩をしていると間に入ってなだめてきますし、落ち込んだときはそっとベッドにもぐりこんできます。
「グリス、おじいちゃんになったね」そう言いながら頬っぺたをぐにぐに引っ張り頬を寄せて抱きしめます。そうすると心が軽くなっていくのはいつまでも一緒でした。
さらに一年月日が経つと足腰が弱り、食が細くなり、寝ていることが多くなりました。立ち上がることも難しくなりました。水しか口にできなくなったその三日後。
震災から2年と2か月と16日後。2013年05月27日にグリスは脳の腫瘍で亡くなりました。
小さい頃から犬を飼っていて、何度も犬とのお別れを経験している僕ですが愛犬が亡くなることはずっと慣れないですね。亡くなった日、次の日…頻度は減れどもいまでも時折泣いてしまいます。
グリスの亡骸は2日間リビングにありました。
その間、近所の人、友人…大勢の人たちが会いにきてくれました。お線香をあげて、頭や身体を撫でて泣きながら昔話をして笑いました。
彼女も、その時には元彼女になってましたけど(笑) 泣きはらした顔で見送りにきてくれました。人が来るたびに、誰かとグリスの話をするたびに「ああ、グリスは生きていた意味があったんだなぁ」と感じます。
グリスはすごく人が好きで、たくさんの人にたくさんの思い出を残してくれました。
残してくれた思い出が、グリスを亡くした悲しさから僕を救ってくれます。
そう思うと泣いてばかりはいられないと思うんです。
いつしか悲しみは後ろ向きではなく前向きな悲しさに変わっていきました。
いつまでも泣いているのはやめよう。
それはグリスもきっと望んでいないだろう。だって、人が辛い時に寄り添ってくれる子だったから。忘れないように普通に生きて時折グリスのことを思い出して笑って泣いて。それでいい。それでいいよね。と空を見上げます。
亡くしてしまった子の分まで次の子へ愛情を
犬に恩返しをしないといけない。グリスに貰った分とそして今まで飼ってきた子に貰った分を返さないといけないと思います。
どうか、たくさんの人が犬や猫やその他のペットと暮らしてほしいと思います。
面倒な時もあるし、悲しい時も、辛い時もあります。
でも、それがどんなに幸せなことか知っているからです。
ペットを亡くして悲しんでいる方、どうかペットを飼うことをやめないでください。
亡くしてしまった子の分まで次の子にいろんなことをしてあげようと思ってください。
僕もまた犬と暮らしています。
柴犬の男の子で名前は“らい”です。マイペースで生意気でビビりで頑固でグリスとは全然違います。でもとってもいい子です。グリスにしてあげられなかったことをたくさんしてあげようと思います。
震災に被災された方々に心からお見舞い申しあげると共に復興に尽力されている皆さまには安全に留意されご活躍されることをお祈りいたします。
同時にペットと、ペットに関わる人、そしてそうでない人も幸せであるようにこの文章を捧げます。
そして読者の皆さま、お読みいただきありがとうございました。
記事監督 獣医師 藤沼淳也